じいちゃんと煙草

『じいちゃんと煙草』


僕のじいちゃんは長崎県の対馬というところに暮らし漁師をしていた。
ほとんど島から出たこともないじいちゃんはその地域で一番古い船に乗り雨の日も風の日もなんなら台風の日も一人海に出ていた。

決まって相棒は煙草で思い出すその姿のほとんどは煙草を咥えているじいちゃんの姿。朝、海から帰ってくるじいちゃんを迎えに港へ。その日釣ってきた魚たちを見るのが何よりも楽しみだった。

普段はほんとうに優しく穏やかなじいちゃん。怒られた記憶もほとんどないが漁の時はうってかわって厳しい男の顔に。ただその姿はいつも愉しそうだった。

小学生、中学生、高校生と毎年夏休みは対馬で過ごすのが常だったが大学生になり故郷を離れるとその回数は少しづつ減っていた。
ただたまに電話で話すじいちゃんの声はいつも元気で優しくてそんな時もたぶん片手にはいつも煙草があった。

僕が就活のときじいちゃんが肺癌で倒れた。それから亡くなってしまうまで時間はそれほどに残されてなく亡くなったその時も、お葬式にも東京での面接が被ってしまい立ち会う事が叶わなかった。
看取った母の話に聞くと亡くなる最後の最後まで漁に出たがり煙草も恋しがっていたらしい。

じいちゃんにとって漁師とは側からみれば「仕事」ではあるがじいちゃんの中でのそれは仕事なんて言葉では収まらないもっと別のところにあった様に思う。暮らし、はたまた人生そのもの。全てが繋がった切り離すことのものとして存在していた。

僕自身にとって「珈琲」というものがじいちゃんにとっての「漁師」と同じものになれるかはまだ分からないし、それは当人が亡くなった後に周りの親しい人たちが感じることであるのかもしれない。ただその姿に、暮らしに人生に少しでも重なることが出来たらなとそう思う。

就活が終わり船に乗り対馬へ。じいちゃんのお墓に向かう道中、人生で初めての煙草を買って墓石の前で咳き込みながらなんとか一本火をつけてお供えをした。その時にようやくお別れできたんだと思う。

その時に就職した会社も今では辞めてしまって暮らす場所も都心を離れた。
その時には想像もしてなかったけれど今年結婚もしていまは遠い長野の地で二人暮らしている。

僕はいま30歳、じいちゃんが生きた人生でいったらまだ1/3。その姿に少しは近づけていけるだろうか。
あの日愉しそうだった笑顔。そんな姿で今年からも過ごせるように。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。
.

珈琲占野